プラザ合意2

日本の膨大な借金は実はこの頃から始まり増え始めたのです。

アメリカは日本に対し輸出産業分野への投資よりも公共分野に投資すべきだと言ってきたのです。
更に日本に対しGNPの10%を公共事業に配分するよう要求してきたのです。

当時海部内閣はこれに素直に応え10年間で総額430兆円の「公共投資基本計画」を約束したわけです。
これでは日本もアメリカの何番目かの州に組み入れられような強行な話だったわけです。

しかしその後も簡単にアメリカの言いなりになる日本の態度に味をしめて「日本の対外黒字の増加を考えれば公共投資の目標の上積みが必要」と更なる要望書を突き付けてきたのです。

そこで今度は1994年に村山内閣で計画が見直され社会資本整備費と称して200兆円を積みをして更に増したわけです。
何と総投資額は630兆円を計上したのです。

これこそが現在の日本の財政難の遠因であるとを忘れてはいけないのです。

この話のポイントですが当時の日本では純債務で見れば財政難ではなかったことに留意する必要があるのです。
アメリカは世界に流出する日本の金がドルの影響力を希薄化させていると心配し日本の金を国内に閉じ込める狙いがあったわけです。

そこでアメリカが最初に目を付けたのが日本の土地税制の見直しであったのです。
日本の農地の保有税が宅地の80分の1であること。

このことが資産として土地を保有しやすくし地主が売り渋ると言い出し、地価は益々上がり続けるという悪循環を指摘してきたのです。
そのことで宅地開発や効率的な土地利用の妨げになると考え問題点として是正を要求してきたわけです。

農家や地主を中心とした支持基盤を持つ自民党は利権や政治資金源に直結する問題だけに反対したのですが駄目でした。
次に言い出したアメリカ言い分の大きな目玉が大店法の規制緩和でした。
大型店を規制していた大規模小売店舗法です。

そのことで結果的に郊外に大型量販店が次々にでき地方都市中心部の小売商店街の客足が途絶え各地にシャッター通りを生んだわけです。

ここで分かって欲しいことは日本の借金はアメリカの経済奴隷から端を発していることを再考することです。安保条約を恩に着せて自分達の軍隊を使って日本を守ってやるからと言ってるアメリカです。

それを言われると弱い日本ですから経済構造協議をやることになったとおいうわけです。
借金大国になった背景をここで思い出して欲しいわけです。

アメリカの言いなりになり430兆円の血税を放出した時から日本の膨大な今では1000兆円近い借金がはじまったことを。

このことは当時の自民党の間でも賛否両論があつたのですが結果的には村山総理の時に更に200兆円の上乗せで決着したのです。
借金大国への序章はここから実は始まったのです。

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